
小堀敏夫のプロフィールと経歴まとめ
“クズ芸人”と呼ばれながらも、なぜか憎めない存在の小堀敏夫さん。
その背景には、笑いあり涙あり…いや、トラブル多めの人生が詰まっています。
まずはプロフィールと経歴を中心に、小堀さんという人がどんな人物なのか。
さらに40代サラリーマン目線で「こういう人、職場にいたらこうだろうな…」という分析もちょこっと交えながら、ざっくり解説していきます。
最初はやっぱり、基本プロフィールから見ていきましょう!
年齢・出身地・身長などの基本プロフィール
小堀敏夫さんは、1967年7月10日生まれの57歳。
出身は群馬県伊勢崎市です。
身長は177cm、体重78kgで、血液型はO型。
「ガッポリ建設部長」という、なかなか味のある肩書きを持っています。
かつてはワハハ本舗に所属していましたが、現在は契約を解除され、フリーの立場に。
今は埼玉県で一人暮らしをしながら、芸人としての活動も細々と続けています。
ちなみに衣装は作業着&ヘルメットというユニークなスタイル。
「工事現場のコント職人」みたいな見た目ですね。
40代SEの立場から見ると、小堀さんって、プロジェクトでやらかしてもなぜか笑われて許される“憎めない中堅社員”っぽさがあります。
いるんですよ、そういう人。どこか放っておけない感じの。
ただ、表面は明るくても、内側はけっこうボロボロ。
そんなギャップが、視聴者の心をつかんで離さないのかもしれません。
学歴:高校卒業後に専門学校へ進学
小堀敏夫さんは、地元・群馬県の高校を卒業後、法律系の専門学校に進学しています。
意外かもしれませんが、最初は堅実な進路を選んでいたんですね。
その後、都内の商社に就職。
普通にスーツを着て、ビジネスマンとして働いていた時期もあったようです。
…が、どうも長続きしなかったようで、わずか2年で退職。
個人的に、ここが人生の分岐点だったと思っています。
40代のサラリーマン仲間と飲むと、「あの時ああしてれば…」ってタラレバ話で盛り上がることあるじゃないですか?
小堀さんの人生も、まさにその“あの時ルート”がえらく派手な方向に進んでいった感じです。
普通に働き続けていたら、地元の不動産屋の店長とかやってたかもしれません。
でも、選んだのは落語家への道。
ここから彼…じゃなかった、小堀敏夫さんの「迷走モード」が始まっていきます。
次は、その転身のきっかけとなる「落語家から芸人へ」の話に移ります!
落語家から芸人へ転身したきっかけ
小堀敏夫さんが芸人になる前は、なんと落語家でした。
1992年に三遊亭圓丈師匠に入門し、「三遊亭ぐん丈」として活動していたんです。
でもこの名前、初めて聞いた人がほとんどだと思います。
つまり、ブレイクには至らなかったということですね。
前座修行は厳しい世界ですし、小堀さんのように「型にはまらない人」にはきっと合わなかったのでしょう。
その後、落語の道を離れ、お笑いの世界へ飛び込みます。
1997年、現在の相方・室田稔さんとともに「ガッポリ建設」を結成。
この頃の小堀さんはまだ“希望に満ちたフリーター芸人”といった雰囲気だったのではないでしょうか。
ちなみにこのコンビ名、「芸人界のゼネコン」というコンセプトらしいですが、実態は超零細。
でも、パンダの着ぐるみでコントをやったり、妙に記憶に残る存在だったんですよね。
このへんの大胆な路線変更、SE業界だと「いきなり営業に異動してきた元インフラ担当」みたいな感覚です。
型破りだけど、妙に勢いだけはある、みたいな。
さて、ここからが本題。
“クズ芸人”と呼ばれるようになる転落エピソードに入っていきます!
借金・クビ・ギャラ飲み生活に転落した理由
小堀敏夫さんが「クズ芸人」として一躍話題になったきっかけは、まさにこの転落劇。
元々はワハハ本舗に所属していたものの、2019年末に契約解除されてしまいます。
理由は明言されていませんが、「ギャラ飲みばかりでネタをやらない」ことが大きな原因だとか。
それ以降、小堀さんは芸人というより、“夜の社交界の住人”として知られるようになります。
ギャラ飲みというのは、社長さんなどとお酒を飲んでお金をもらうスタイル。
地方出張だと「車代込みで30万円」ということもあったそうです。
もはや営業マン顔負けの金額ですね。
ただ、それに味をしめてしまったのか、本業のネタづくりや舞台出演はほぼゼロに。
まさに「ギャラ飲み芸人」と化していきます。
SE目線で言えば、“資料作らないプリセールス”みたいな存在。
周囲から「アイツ、何してんの?」と思われるけど、本人はそれなりに満足してるという。
こうして笑えない方向に人生が傾いていったわけですが、ここで運命の番組『ザ・ノンフィクション』に出会います。
『ザ・ノンフィクション』で明かされた壮絶な日常
2024年末に放送されたフジテレビの『ザ・ノンフィクション』。
小堀敏夫さんの“素顔”が全国に晒される大事件となりました。
番組では、借金まみれ・ギャラ飲み三昧・家賃3万2000円のアパート暮らしという、リアルすぎる日常が映し出されました。
何より印象的だったのは、実母からの電話。
「お前を殺して私も死ぬ!」
と叫ばれるという、まさに視聴者の心に深く突き刺さるシーン。
笑えない…けど、目が離せない。そんな空気がネットでもバズりました。
40代SEの立場から見ると、これは完全に「家庭にも職場にも居場所がない人の末路」。
こういう人、プロジェクトの炎上後によく現場からフェードアウトしていくんですよね…。
それでも、世間に自分をさらけ出すことで、少しでも人生をやり直したい。
そんな願いがにじんで見えました。
そして、ここからまさかの“出家”が始まります。
出家を決意するも2日で脱走…その顛末とは?
『ザ・ノンフィクション』で最も衝撃的だった展開が、出家です。
人生に迷った小堀敏夫さんは、ある寺に出家を申し込みました。
お坊さんになることで、心機一転人生を立て直したい――
そんな思いは立派ですが…結果はというと、なんとわずか「2日」で脱走。
「トイレに行きます」と言い残してそのまま帰宅したとのこと。
なんというか、40代サラリーマンが「体調不良で早退します」と言ってそのまま退職する、みたいな空気感です。
本人曰く、環境が厳しすぎて「死ぬかと思った」とのこと。
けれど、この出来事が逆に彼をネットで一躍有名にさせました。
しかも、その後のギャラ飲みオファーが激増。
なんと週に22万円稼いだこともあるとか…。
もはや、出家すら“ネタ”にしてしまうのが小堀さんのすごさです。
次は、そんなギャラ飲みでの生活について、もう少し詳しく見てみましょう。
地方の社長と飲むだけで30万円?驚きの相場
ギャラ飲みって、若い女性がやるイメージありませんか?
ところがどっこい、小堀敏夫さんは57歳にしてそれをやってるわけです。
地方の経営者や飲み仲間から呼ばれて、お酒を飲んで会話する。
それだけで1回5万〜30万円というから、なかなかの高単価です。
特に『ザ・ノンフィクション』放送後は、オファーが激増。
芸人としてより、“素人の芸人枠”みたいな立ち位置で人気が出たんですね。
ただ、これは常に需要があるわけじゃない。
呼ばれなければ0円。まさにギャンブルと同じ。
この不安定さにどっぷりハマってしまったのが、今の小堀さんの課題かもしれません。
SE的に言えば、“案件がないフリーランスエンジニア”みたいな状況。
稼げるときは稼げるけど、油断すると一気に干上がる。
それでも本人は「俺、まだ芸人だから」と言い張っています。
では、芸人が副業してるのか、副業が芸人なのか――その答えは小堀さん自身にもわからないのかもしれません。
続いては、そんな彼の(あ、名前で!)恋愛事情にも触れていきます。
婚活に挑戦するも失言で全滅
小堀敏夫さんは、実は婚活にも積極的に挑戦していました。
ただし、結果は…なんと「200連敗」。
200人に申し込んで、全滅です。
これはもうギネス級。
その原因がまたスゴイ。
初対面の女性に「子どもは産めるの?」と聞いて撃沈。
完全にアウトですね。
この失言がネットで拡散され、「やっぱりクズ芸人」と再び話題に。
ある意味で、“求められた役割”を全うしているのかもしれません。
ちなみに婚活費用を借金してまで捻出していたそうで…
そのお金の出どころは、後輩芸人や知人からの借金。
もう、ボロボロです。
ただ、それでも「結婚したい」と言い続ける小堀さん。
その理由が「母親に安心してもらいたいから」なんです。
…急に親思い。
こういうところに、人間らしさを感じてしまうのは私だけでしょうか。
さて、最後は“元相方”との関係にも迫っていきます。
金銭トラブルとラジオ生放送での解散騒動
小堀敏夫さんと室田稔さんのコンビ「ガッポリ建設」は、もともと仲の良さが売りでした。
でも、それも過去の話。
現在は、実質的に活動停止状態。
そのきっかけが、ギャラ問題やネタへの姿勢のズレでした。
特に決定的だったのが、室田さんがラジオで突然「もうコンビ解散する」と発言したこと。
まさに“公開解雇”みたいな展開。
小堀さんはショックを受けつつも、「まあ、仕方ない」と受け入れモード。
それ以来、二人で舞台に立つことはほとんどなくなりました。
とはいえ、完全な絶縁ではないようです。
SNSなどでは、ときどき室田さんの名前も出てきますし、再会の可能性もゼロではない…かも?
SEの職場にもいますよね。
一緒に案件をやってた仲間と、ある日を境に別々の道へ。
でも、ふとしたタイミングでまた再会する、みたいなこと。
ガッポリ建設も、いつかまた“部分的再結成”なんてあるかもしれませんね。